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1964-2  徳島の山里にて生を受けて以来大自然に囲まれた環境で中学まですごす。
1984-3  国立阿南工業高等専門学校電気工学課卒業
授業は休んでもラグビー部の練習には顔を出す真面目さを買われ?無事5年で卒業。
振り返ると中学・高専と8年間の寮生活と5年間のラグビー生活で前向と言うか楽観的性格が形成されたように思う。
この環境を作ってくれた両親とラグビー部の仲間に感謝です。
若かりし頃
1984-4 電機メーカー系メンテナンス会社に入社、
香川に配属され空調・冷凍エンジニアとしてスタートするとともに、休日はテニス、ウインドサーフィン、オートバイでツーリングと趣味を楽しんでいた。
先輩に讃岐うどんの味わい方について教わる。
1989-5 結婚(私がこんな体になっても家の中が暗くならないのは妻のおかげです。大感謝です)
1990-4 転勤で高知へ。仕事は超多忙だったが充実しており楽しかった。初めての海外出張で旧ソ連(現ロシア)へ。クーデターの前日に出国し無事帰国。ちょっと変わった思い出となった。 この頃は二人で高知のラーメンを食べ歩いた。
1992-4 転勤で再び香川へ 
仕事でパソコンを操作する機会が増えてきたので自己啓発の為初めてパソコン(IBM-PS55V OSはWindows3.0(3.1じゃない))購入したもののほとんどゲームしかしなかった。その後'98に富士通FMV-BIBLO-NUを購入しインターネット、ワープロ、表計算と今度は活用した。
なぜか労組役員となり、6年間いろんな勉強・経験をさせてもらった。このおかげて、社内他部門の方とも知り合え仕事の幅が広まったように思う。
讃岐うどんのおいしさに目覚めたのがこの頃で、週末は必ずうどん屋だった。両親の好みのせいで長女の離乳食はうどんであった。次女の場合も当然うどんとなった。
2000-4〜
2003-4
病状の進行に伴い仕事を事務所内業務に変えてもらい毎日パソコンに向かう。すっかり事務屋となってしまった。
仕事を続けられるよういろいろ配慮してくれた上司・同僚に感謝です。
2004-3 在宅療養開始、休職
在宅療養の写真在宅療養、友人との写真
2006-2 退職

思い

 入社以来20年、機械設備の持つ機能を維持し、故障させることなく使用してもらう為のメンテナンスを仕事にしてきたせいか、やがて失われることが判明している機能について黙ってその時を待つなんてことは絶対にいやなのである。

 つまり、機械なら悪くなりそうな部分を事前に手入れするとか交換することでその機能を維持させてきたように、ALSを患いやがて呼吸する機能さえ失うこの身体にも可能なかぎり事前処置を施したいと考えている。

 もちろん、機械のように部品交換というわけにはいかないが、失われる機能を代替するテクノロジーが必ずあると思う。

 こうなれば、自ら進んでテクノロジーを身にまとい改造人間を目指そうと考えるに至ったのである。

1999春 右手握力の低下に気付き整形外科受診するも病名付かず。
1999秋 香川県立中央病院神経内科受診、運動神経がやられるややこしい病気の疑い?この頃から自分でもインターネットから情報収集始める。
2000-1 病名ALS正式告知を受ける。
2001-3 岡山大学医学部「神経難病(ALS)に対する神経栄養因子脊髄腔内持続注入療法」治験に参加、脇腹にリザーバータンク埋め込み改造人間への一歩を踏み出す。
2003/3岡山医大の治験が終了し、ALSの進行を遅らせることにこの治療法が有効であるとの発表あり。
2001-12 20回の治験参加終了。
2002-11 国立療養所高松病院(現:国立病院機構高松医療センター)にて胃ろう造設し二歩目。
 入院中人工呼吸器装着のALS患者の方と知り合いになれ、看護師長さん(言動が笑ってしまう位、元上司にそっくりだった)の厳しい指導もあり有意義にすごした。将来長期入院する時がきてもなんとか適応できそうに思った。
2003-2 肺活量が2000ccを下回るようになったので、就寝時鼻マスクタイプの呼吸器を使用し肺を休ませることを始めた。2.5歩目というところ。
2003-5〜
2004-2
香川医大にて喉頭摘出手術を受ける。声帯もとる事になるので完全に声を失うが口からの食事を取り戻した。カニューレも付けているのでいつでも呼吸器装着できるが今のところ夜間就寝時のみ装着し肺を休ませることを継続中。
引き続き国立療養所高松病院(現:国立病院機構高松医療センター)にて、喉頭摘出後の日常ケアについて妻は訓練。私はされるがままに寝てるだけ。。。
2004-3 在宅療養開始、休職。
2004-10 国立病院機構高松東病院(現:国立病院機構高松医療センター)にて療養開始。
2007-8 1日24時間呼吸器装着。
いつか・・ 新治療法・薬開発の日まで改造人間への道は続く・・・

 社会人となり東京での研修後仮配属先が高松だった為いきなりうどん漬けの生活が始まった。
 先輩に連れられ香川県内全域の客先を回り空調機のメンテナンスを行う日々、昼食にと先輩に連れていかれるのがセルフのうどん屋なのだが、先輩のうどんを食べる速さに唖然!とはいえ先輩を待たせるわけにもいかず必死で口に押し込んだ。
「うどんは噛んで味わうものではないのだ」
 この時期に覚えた「噛まずに飲み込む」食べ方のおかげで、ALSの進行と共に噛む動作が不自由になっても、口から食物(嚥下食)を摂取できていました。気管切開してカニューレを気管に挿入してからは、アゴを介助者に引いてもらわないと食道が開かなくなってしまった為、口からの摂取は諦めましたが、うどんは私にとって最高の嚥下食だったのです。

 先輩方の厳しくも暖かい指導のおかげで、土日にうどん屋を回るのが楽しみになっていたのに、車椅子生活になると以前のようには気軽にうどん屋に行けない。これはとても残念なことです。(もちろん、車椅子でうどん屋に行く事はあるのですが、その頻度は激減でした)・・・・・・これは在宅療養中の話です。

でも、車椅子生活になったことで新しいうどんの楽しみ方を知ることができた。それが「玉売り」です。いわゆるTakeOutのことですが、ほとんどの讃岐のうどん屋は、麺、だし、それからトッピングの天ぷらまで「玉売り」してくれるのです。
おかげで、自宅で美味いうどんを楽しめました。

写真は、よく行ってたうどんや「三徳」の玉売りで買ってきたものです。 自宅で用意したものは、食器と薬味のネギ・しょうがだけです。
「ざる」に盛り付けてないけれど、我が家では「ざるうどん」とよんでました。

今一番気軽に美味しいうどんを食べるには?答えは間違いなく「冷凍うどん」でしょう。
近年多くの食品メーカーが参入していますが、私の個人的好みでは、麺は「加ト吉」か「コープ」が美味い。これに鎌田醤油の「だし醤油」をかける組み合わせがベストです。(これに生卵を合わせた「たまごかけうどん」も美味しいです)


2003年当時、私がよく行ってたうどん屋さんの中で車椅子でも食べに行けるうどん屋さんを紹介します。
香川県内のうどん屋さんのほとんどは車椅子で行くことが可能ですが、やはりそれなりの準備というか心構えをもって行ったほうがいい店もありますので参考にして下さい。

エリア:高松市
店名 お気に入りメニュー タイプ 場所・TEL 準備・心構え
源芳 カレーうどん
かけうどん
ぶっかけうどん
一般店 高松市番町1丁目2−24
087−851−3364 
1Fは車椅子で行けるが店内狭いので車椅子のままで食べられる席はたぶん4ヶ所。入り口に段差あり介助者必要。2F階段しかないので無理。
「かな泉」紺屋町店 1F
かけうどん
ざるうどん
1Fセルフ
2F一般店
高松市紺屋町9−3
087−822−0123 
1Fはセルフなのと入り口に段差あるので介助者必要。店内は広く車椅子のまま食べられる席も沢山ある。
2Fへはエレベーターがあるが、入り口の段差があるので介助者必要。
手打うどん「めん」 かけうどん
こがねうどん
一般店 高松市番町2丁目8−26
087−821−0264 
店内狭いので車椅子のまま食べられる席は3〜4位
竹清 かけうどん+卵天 セルフ 高松市亀岡町2−23
087−834−7296 
セルフなので介助者がいた方が楽。セルフに慣れた人なら一人でも大丈夫だと思う。
こんぴらうどん 細ぎりざるうどん 一般店 高松市古馬場町13−7ルベールビル1F
087−823−4477 
入り口に段差あり介助者必要。夜間営業の店なので周囲は酔っ払いも多いよ
手打うどん 三徳 かけうどん
ピリカラうどん
セルフ 高松市上福岡町2049―5
087−861−1165 
セルフなので介助者がいた方が楽。セルフに慣れた人なら一人でも大丈夫だと思う。
ぶっかけうどん 大円 ぶっかけうどん 一般店 高松市今里町1丁目28−27
087−835−5587 
店内狭いので車椅子のまま食べられる席は無い。車椅子を横付けし店の椅子に移動できる人でないと無理
わら屋 釜あげ中ジャンボ 一般店 高松市屋島中町91
087−843−3115 
車椅子で行ける通路があるにはあるが、急勾配なので介助者2人必要